MENU

母と、とんかつと、私。

部屋とワイシャツと私みたいな滑りだしですが(笑)今日は私の母の命日です。
命日というか、母が他界したという連絡が一年前のちょうど今日に入りました。

あれからもう一年。長かったのか、短かったのか、また同じ季節が巡ってきたことに少し驚いています。
去年も確かこんな風にいい天気だったな。

母は無類のとんかつ好きでした。小柄な体に似合わず、小さなころからよくとんかつ店に連れていかれて辟易としたものです。
私は小さいころから揚げ物、特に衣がついた食べ物が苦手で、母の好みに反してその良さをまったく分からずに育った人間でした。かつ丼ならまだ卵でとじてあって若干揚げ物感が薄れるので、しぶしぶ、かつ丼を頼んでいたのを覚えています。

父と母は私が2歳の時には離婚しており、父とは全く交流はなく、母と近くに住む祖父母に育てられました。
母との関係は複雑で、私が実家を出た後は仲がよい時期もあったけれど、子供時代を振り返ると、まぁよく道を逸れずに育ったものだと自分で関心するほどあまりよくない状況でした。というものあって、特に子供ができてからは頻繁には会うことはなくなっていました。

一昨年のことでコロナも2年が過ぎたころ、祖母の体調が悪くこのままだと会えずに他界してしまうかと思い、息子を連れて田舎まで帰ったことがあったんです。
その時には祖母は治療の甲斐あって一緒に外出もできたけれど、歳が歳なのでもういつどうなってもおかしくないな、もしかしたらこれが祖母とは最後かもしれないなんて思いで田舎を後にしました。まさかそれが祖母ではなく、母との最後になるなんて思いもよらなかった。

母は自ら選んでこの世を去りました。
遺書はなかったけど、家はとれもきれいに片付いていました。

母は私が小さいころは忙しさからか家はずっと散らかり放題だったのが、私と兄が独立した後には断捨離に目覚め、みるみるモノが減っていっていたので、実家の整理はそこまで苦労はなかったです。
とはいえ、人が一人亡くなるというのは大変なもので、葬儀から保険から、契約関係、家や車の処分と、悲しむ暇もなく”手続き”に明け暮れました。

私としては、母は自分の意志でこの世を去ることができてよかったんじゃないかと思っていました。
その選択は支持されない世の中でも、自ら人生の幕引きができたことで母が満足していればそれでいいなと。
実の母が亡くなった反応としては我ながらあっさりしていると思ったけれど、過去を振り返ればそれも不思議ではない。しかし、それは半年後に覆されました。

ある日、友人とたまたまそのお母さんと会食をして帰宅した直後、何かが私の中で爆発して(本当に何か胸の中で破裂したような、壊れたような感覚でした)涙と嗚咽が堪えられなくなり、それは次の日の仕事中であっても続き、そして一週間ぶっ続けで泣き続けたのでした。人生こんなに泣いたのは初めてです。

なんで死んでしまったのか、そんなに苦しんでいたのか、なんで私を残して勝手に逝ってしまったのか、、、

一番堪えたのは、そっと、ひとり静かに、誰にも知られずこの世からいなくなってしまった母の孤独でした。
その絶対的な孤独を想い、どうにもならなくなってしまったのです。

悲しみ方はひとそれぞれとは言うけれど、こんな激烈な形で現れると思いませんでした。わからないものですね。

そこから数か月休職して、今は元気に仕事復帰もして、もう一年。
時は流れて、あの時みたいにまた太陽がきらきらして緑がまぶしい季節がやってきました。

ママはそっちでうまくやってますか。
不思議なことに私はいま、とんかつが食べたくて仕方がないのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

こころ からだ 整う シンプルライフ シンプルマインド
30代シングルマザーが目指す東京シンプルライフ

目次